2019秋の集中 巣戸々山
- 2020/01/18
- 13:09
巣戸々山 秋の集中
2019年9月14日~16日
係 遠藤徹

山にはさまざまな愉しみ方があって良いと思う。 記録を調べて、美しい場所だから行ってみたい。困難だと言われているから臨んでみたい。 単にレビューの点数のように人気があるから先ずはここから。等々あるだろう。
わらじの OB にK崎と言う面白い男がいる。 彼は K2 へ 3 度挑んで敗退している。先般、彼を囲んで飲んだ折り 「人が登ったルートを追って何が山登りの楽しさがあるんですか。まだ登られていない未知のルート を自分の目で確かめながら登ることが山の愉しみじゃないんですか」 「オレはそう言うふうに、わらじから教わった気がします」 とベロベロに酔いながら下戸のM内に詰め寄っていた。
国内の山登りの事情とは異なるけれど、私たち主に沢登りを標榜とする山岳会にあって 記録の無い山や沢への山行計画ほど心躍るものはないだろう。 昭和 20 年 30 年頃の旧い OB の話はなお面白い。
向かおうとする山へ切れ込む沢の名前からして地元の役所へ手紙を書いていたそうだ。 いい時代なのだろう、役所の担当者も山に詳しい猟師などから情報を得て、手紙を返信してくれたと 聞く。 ある意味、沢登りが 最も沢登りらしい愉しさを味わえた時代だったのかもしれない。 時代は変わってしまったけれど、枯れてもわらじの仲間としてはパイオニア的な精神を受け継いでい きたいものだ。

さて、主題の巣戸々山である。すどとやま。と呼ぶらしい。 三面川が岩井俣谷と末沢川を分ける支稜にある僅か 1200 を少し超えた不遇の山である。 私が入会した年の秋に守門で亡くなった森下道夫さんが拘っていた山だそうだ。 森下さんの憧れた理由を私は勝手に、誰も見たことのないスラブ。があるらしい。 と言う、博打のような不確定要素の高い計画性そのものにある。のだと思っていた。 果たして、未知なる渓谷を会山行として取り組んだ成果はいかに。
当初は末沢川から向かうパーティと岩井俣から向かうパーティの交差を目論んでいた。 針生平から入山したパーティの留め置きしている車で、あさひ湖から入山したパーティが下山後、予 め受け渡しをしておく車のキーでお互い帰京する。と言うアクロバチックな計画であった。 ところが昨年の秋は雨に祟られて延期になってしまい、今年になって7月の豪雨で村上からあさひ湖 へ通じる林道が崖崩れのため通行止めとなってしまった。 今年の秋の集中は止む無く、計画を縮小し 全パーティ「と言っても僅か 3 パーティだが」末沢川から のアプローチとなった。
行動概要 9/13 各地⇒東北道 米沢経由 道の駅いいで集合(仮眠) 9/14 ⇒小国⇒針生平(車デポ)~柴倉山~末沢川へ降りる~各パーティ分散 9/15 各ルート~巣戸々山(12 時集合)~ヨドノ沢下降(全パーティ同一行動)出合い泊 9/16 ~末沢川~柴倉山~針生平
A パーティ 小立堀沢 L N田、M山、O村
B パーティ 大立堀沢 L M内、I井、K井(OB)
C パーティ ヨドノ沢 L 遠藤、O田、M田

行動結果
A パーティ 小立堀沢 右俣へ転戦したものの敗退
B パーティ 大立堀沢 山頂へ時間通りに到達
C パーティ ヨドノ沢 予想外の渓相に三角点までの到達
詳細は各パーティからの報告を参照してほしい。(月報参照) ここでは、全体の感想と反省点を書き留めたい。 先ず、岩井俣からのパーティが組めなかったことが残念で悔やまれる。地形図の急峻さから草付き スラブを期待していたが、グーグルアースからヤブと判り士気の低下を招いたところ、あさひ湖への 林道通行止めで計画全体が頓挫してしまった。 やむなく末沢川からの 3 パーティを組むことになり、集中への取り組み難易度は下がり、形式はベー ス分散式に近いものとなってしまった。それでも大立堀沢を除いて、記録が見当たらない小立堀沢と ヨドノ沢へパーティを出して、巣戸々山がスラブの宝庫と言われている所以を確かめたかった。この ように書くと敗退したパーティに意地の悪い圧力を掛けているように思われてしまうかもしれないけ れど、M山、O村の登攀力をもってしても諦めざるを得なかった悪絶な渓相を確認できたことを高く 評価したい。 事前に敗退した場合の行動指針や待ち合わせ方法を打ち合わせしておいたことは、とても良かった と思う。このような万全の取り組みは今後の集中山行にも反映、継続させたい。 但し、今回はBパーティだけがAパーティの敗退の連絡を無線で取れたので、事無きを得たが山中で 連絡が取れないまま 集中時間を過ぎたらどうするのか。このあたりの検証も重ねて議論しておきた い。 Bパーティは相当な難度の大立堀沢を無事 遡行し、集中時間どおりに山頂に届いた唯一のパーテ ィである。M内さんの熟練した「読み」とI井の登攀力の成せる技だろう。 Cパーティは初日に流程の 1/3 近くにある滝マークまで偵察し、その上に広がる緩傾斜な等高線に 油断してしまった。集中時間に遅れること 30 分で三角点まで辿りつくのがやっとであった。集中地点 の最高点とその手前にある三角点とは僅か 300m ほどしか離れていないにもかかわらず激ヤブを漕 いでこちらへ向かうBパーティを待つしか手立てがなかった。 M内さん曰く「Cパーティのサポートが無かったら、明るいうちにベースまで辿りつけなかった」の言葉 がせめてもの救いであった。

わらじの仲間は設立まもなく 63 年を迎える。 長年に亘り継続してきた春と秋の集中山行は、会が縮小し合宿と言う名の会山行が途絶えてしまっ た今、粛々と続けていきたいと願うばかりである。 集中山行の目的は、与えられたルートとパーティで時間を読み、ルートを読み、指定された時間と場 所に集中する為のチームマネジメントが試される場と考える。 そのためには、各自が主体的に仕事を受け持つ意識が重要と思う。私はトップができない。料理もで きない。重い荷物も担ぎたくない。というぶら下がり人間はここにはいない。 自分には何が出来るのか、何をすればチームの期待に応えられるのか。 かつて若林さんが唱えていた「山岳会は米作りと同じ」と言う考え。 持ち場、持ち場で個々が それぞれの能力を発揮させることが、成果物につながる。 そんな仲間意識を育むための集中山行だけは せめて続けて行きたいと考える。 月報10月号より転写
2019年9月14日~16日
係 遠藤徹

山にはさまざまな愉しみ方があって良いと思う。 記録を調べて、美しい場所だから行ってみたい。困難だと言われているから臨んでみたい。 単にレビューの点数のように人気があるから先ずはここから。等々あるだろう。
わらじの OB にK崎と言う面白い男がいる。 彼は K2 へ 3 度挑んで敗退している。先般、彼を囲んで飲んだ折り 「人が登ったルートを追って何が山登りの楽しさがあるんですか。まだ登られていない未知のルート を自分の目で確かめながら登ることが山の愉しみじゃないんですか」 「オレはそう言うふうに、わらじから教わった気がします」 とベロベロに酔いながら下戸のM内に詰め寄っていた。
国内の山登りの事情とは異なるけれど、私たち主に沢登りを標榜とする山岳会にあって 記録の無い山や沢への山行計画ほど心躍るものはないだろう。 昭和 20 年 30 年頃の旧い OB の話はなお面白い。
向かおうとする山へ切れ込む沢の名前からして地元の役所へ手紙を書いていたそうだ。 いい時代なのだろう、役所の担当者も山に詳しい猟師などから情報を得て、手紙を返信してくれたと 聞く。 ある意味、沢登りが 最も沢登りらしい愉しさを味わえた時代だったのかもしれない。 時代は変わってしまったけれど、枯れてもわらじの仲間としてはパイオニア的な精神を受け継いでい きたいものだ。

さて、主題の巣戸々山である。すどとやま。と呼ぶらしい。 三面川が岩井俣谷と末沢川を分ける支稜にある僅か 1200 を少し超えた不遇の山である。 私が入会した年の秋に守門で亡くなった森下道夫さんが拘っていた山だそうだ。 森下さんの憧れた理由を私は勝手に、誰も見たことのないスラブ。があるらしい。 と言う、博打のような不確定要素の高い計画性そのものにある。のだと思っていた。 果たして、未知なる渓谷を会山行として取り組んだ成果はいかに。
当初は末沢川から向かうパーティと岩井俣から向かうパーティの交差を目論んでいた。 針生平から入山したパーティの留め置きしている車で、あさひ湖から入山したパーティが下山後、予 め受け渡しをしておく車のキーでお互い帰京する。と言うアクロバチックな計画であった。 ところが昨年の秋は雨に祟られて延期になってしまい、今年になって7月の豪雨で村上からあさひ湖 へ通じる林道が崖崩れのため通行止めとなってしまった。 今年の秋の集中は止む無く、計画を縮小し 全パーティ「と言っても僅か 3 パーティだが」末沢川から のアプローチとなった。
行動概要 9/13 各地⇒東北道 米沢経由 道の駅いいで集合(仮眠) 9/14 ⇒小国⇒針生平(車デポ)~柴倉山~末沢川へ降りる~各パーティ分散 9/15 各ルート~巣戸々山(12 時集合)~ヨドノ沢下降(全パーティ同一行動)出合い泊 9/16 ~末沢川~柴倉山~針生平
A パーティ 小立堀沢 L N田、M山、O村
B パーティ 大立堀沢 L M内、I井、K井(OB)
C パーティ ヨドノ沢 L 遠藤、O田、M田

行動結果
A パーティ 小立堀沢 右俣へ転戦したものの敗退
B パーティ 大立堀沢 山頂へ時間通りに到達
C パーティ ヨドノ沢 予想外の渓相に三角点までの到達
詳細は各パーティからの報告を参照してほしい。(月報参照) ここでは、全体の感想と反省点を書き留めたい。 先ず、岩井俣からのパーティが組めなかったことが残念で悔やまれる。地形図の急峻さから草付き スラブを期待していたが、グーグルアースからヤブと判り士気の低下を招いたところ、あさひ湖への 林道通行止めで計画全体が頓挫してしまった。 やむなく末沢川からの 3 パーティを組むことになり、集中への取り組み難易度は下がり、形式はベー ス分散式に近いものとなってしまった。それでも大立堀沢を除いて、記録が見当たらない小立堀沢と ヨドノ沢へパーティを出して、巣戸々山がスラブの宝庫と言われている所以を確かめたかった。この ように書くと敗退したパーティに意地の悪い圧力を掛けているように思われてしまうかもしれないけ れど、M山、O村の登攀力をもってしても諦めざるを得なかった悪絶な渓相を確認できたことを高く 評価したい。 事前に敗退した場合の行動指針や待ち合わせ方法を打ち合わせしておいたことは、とても良かった と思う。このような万全の取り組みは今後の集中山行にも反映、継続させたい。 但し、今回はBパーティだけがAパーティの敗退の連絡を無線で取れたので、事無きを得たが山中で 連絡が取れないまま 集中時間を過ぎたらどうするのか。このあたりの検証も重ねて議論しておきた い。 Bパーティは相当な難度の大立堀沢を無事 遡行し、集中時間どおりに山頂に届いた唯一のパーテ ィである。M内さんの熟練した「読み」とI井の登攀力の成せる技だろう。 Cパーティは初日に流程の 1/3 近くにある滝マークまで偵察し、その上に広がる緩傾斜な等高線に 油断してしまった。集中時間に遅れること 30 分で三角点まで辿りつくのがやっとであった。集中地点 の最高点とその手前にある三角点とは僅か 300m ほどしか離れていないにもかかわらず激ヤブを漕 いでこちらへ向かうBパーティを待つしか手立てがなかった。 M内さん曰く「Cパーティのサポートが無かったら、明るいうちにベースまで辿りつけなかった」の言葉 がせめてもの救いであった。

わらじの仲間は設立まもなく 63 年を迎える。 長年に亘り継続してきた春と秋の集中山行は、会が縮小し合宿と言う名の会山行が途絶えてしまっ た今、粛々と続けていきたいと願うばかりである。 集中山行の目的は、与えられたルートとパーティで時間を読み、ルートを読み、指定された時間と場 所に集中する為のチームマネジメントが試される場と考える。 そのためには、各自が主体的に仕事を受け持つ意識が重要と思う。私はトップができない。料理もで きない。重い荷物も担ぎたくない。というぶら下がり人間はここにはいない。 自分には何が出来るのか、何をすればチームの期待に応えられるのか。 かつて若林さんが唱えていた「山岳会は米作りと同じ」と言う考え。 持ち場、持ち場で個々が それぞれの能力を発揮させることが、成果物につながる。 そんな仲間意識を育むための集中山行だけは せめて続けて行きたいと考える。 月報10月号より転写